小林一三と同じく大阪池田市に縁のある世界を代表する実業家かつ発明家の安藤百福。
池田市にある安藤百福発明記念館(愛称:カップヌードルミュージアム)を見学したので記事にしようと思います!

外国からも多く人がいてカップヌードルが世界で愛されているのが分かります。
大発明は、執念と逆転の発想から
百福が即席めんの事業へ邁進するきっかけになったのは、戦争の影響が大きかったようです。終戦下の日本で栄養失調になる人たちを見て「まずはおなか一杯食べること。そうすれば心も豊かになる」これが原点だったようです。
カップラーメンの開発も簡単にはいかなかったようです。一番難しかったのは機械でめんをカップに入れること。上からカップに落とすとどうしてもずれたりしてしまう。それを逆にカップをめんにかぶせ、機械でひっくり返そうという発想に切り替えます。大事業をなしとげる人物は大体不可能を可能にする逆転の発想を人生のあちこちで考え切り抜けていますね…
小林一三もそうだったな…
また、完成した商品を流通させる時も、時代の流れをきちんと掴み、テレビCM、スパーマーケットへの流通、世界へ広げていくなど周りに転がるヒントをきちんとつかんでいたとわかりますね。普通の人は拾えませんw
安藤百福・仁子さんの言葉に学ぶ
安藤百福
戦争で焼け野原になった町で一杯のラーメンを求める栄養失調の人たちを見て
「まず、おなかいっぱい食べることだ。そうすればきっと心も豊かになる」
カップラーメンなどの商品に関して
「衝撃的な商品は必ず売れる。それ自身がルートを開いていくからだ。
何ごとによらず、自分の周囲にいつも好奇の目を向けるを忘れてはならない。
消費者のニーズや時代を読むヒントは
日常生活のいたるところに転がっているではないか」
「まず理想的な商品を作ってから生産設備を考えよ。
生産しやすい商品を開発の第一目標にしてはならない」
「野中の一本杉よりも、森として繁栄するほうがいい」
「食創為世
事業を始めるとき私には金儲けをしようという気持ちはあまりなかった。
何か世の中を明るくする仕事はないかそればかり考えていた」
「時は命なり。
刻一刻と刻む時間は確かに大切ではあるが、
命が刻まれているのだ。と思って居る人は少ない。
そこまで切迫感をもって私は生きたい。
周りの人にもそうして欲しい」
妻 仁子(まさこ)さん
つらいことも悲しいこともぱくっと飲み込む
「クジラのようにすべて呑み込む。でないと前に進めない。」
貧乏生活の中で
「財布に六銭ある市電に乗って帰ろうか。うどんを食べようか。」
百福が初代日清食品の取締役に就任して
「いろいろな苦労を乗り越えてきたから、いまのわたしがある。」
二人とも私利私欲のために生きているのではない、素敵な言葉を残しています。
マイカップヌードルは百福さんを書いてみましたw