教育コラム

松岡修造さんの曽祖父!?日本の発展に貢献し、日本人の生活を変えた小林一三を学ぶ

池田市にある小林一三記念館を訪れました!

小林一三はあの熱血キャラでおなじみの松岡修造さんの曽祖父でもあります。

 

小林一三は鉄道事業を軸に郊外住宅開発、ターミナルデパート、動物園、宝塚温泉、宝塚歌劇といったレジャー産業、高校野球、サッカーやラグビーの全国大会の基礎を作ったり、プロ野球のベースを作るといったスポーツ界への貢献など多くの事業を手掛け、現在の私たちの生活のベースを作ったともいえる実業家の一人です。

また、茶の湯、小説、俳句など文化人としての側面もあるほどの多趣味な人で、人ひとりの人生でここまで濃く生きることができるのかと思える人物です。

今回は、小林一三の考え方や小林一三の語録から学んでいきたいと思います。

不可能を可能にする逆転の発想

小林一三は鉄道事業を始める際も順風満帆ではありませんでした。そもそもの鉄道事業を始める段階で恐慌などでお金がない状態から先を見据え将来性のあるこの事業を進めるため、出資者を募り説得し、お金を集めていますし、いざスタートしても、大阪の北のエリアのまだ田んぼだらけで人口がまだ全然いない「箕面有馬エリア」の鉄道事業どうやって軌道に乗せるのかといった問題もありました。

ここで小林一三は人がいないならここに人を集めればいいという発想に切り替えます。社会化などで習いますが、当時の日本は、大都市に住むことが常識。狭い限られた土地に窮屈になって生活するわけですし、工業化などが進むわけで住環境が悪化していくわけです。

そこで小林一三は田んぼだらけの土地に住宅地を作り、「郊外の豊かな自然の中でマイホームを持とう」と当時の日本では発想にないような郊外分譲住宅という形で人を増やすことを考えます。この人がすごいのはただ家を作ればいいというのではなく、ローンの仕組みを取り入れ、大衆が支払いやすくし、夢のマイホームを持てるような仕組みをちゃんと考えて用意したところにあります。

また、人が生活していく上でただ住めて、仕事場まで行けたらいいわけではなく、そこに娯楽も用意します。それが動物園なわけです。

こうした大胆な発想とそれを裏付けできるほど入念に考えられたプラン、実行するときは大胆にどんどん進めるといった一三の行動が不可能を可能にしていきます。

今にも通じる小林一三の考えと語録

小林一三は優れた経営者、文化人という側面から多くの考え方や語録が残っています。グループの理念や語録からその考えの一部に触れてみましょう。


「安心、快適」そして「夢・感動」をお届けすることでお客様の喜びを実現し社会に貢献します」

「小売業を通して地域社会の発展に貢献」

「地域住民への生活モデルの提案を通して、地域社会になくてはならない存在であり続けること」

「清く、正しく、美しく」


こうした考えが根底にあるようです。まず、気づくのは一三の考えは企業優先であったり、自分たちだけが儲かればいいといったものではないということ。常に大衆のためにあるという考えが根底にあることです。ビジネスと大衆の夢の実現といったものが高い次元で両立していると言えます。仮に、一部の企業だけが得をする見せかけの景気などでは、大衆は夢を見ることができません。企業が従業員やお客さんといった大衆の夢の実現といったものへいかに寄り添うことが大切かといったことを知ることができます。

こうした考えが、宝塚歌劇やホテル事業などを始めとするレジャー産業や人のライフスタイルを変えていく、事業へつながるのだと思います。

また、小林一三の語録からも学ぶことは多いです。正確な発言でなく申し訳ないですが、要点を紹介します。


「どんなに才能、手腕があっても、平凡なことを忠実にできないものに将来の見込みはない」

「出世の道は信用を得ることである。それには3つの条件がある。1つは正直でならなければならない。2つ目に礼儀を知っていることである。3つ目に物事を迅速、正確に処理する能力があるかどうかである。頼まれた仕事を催促されるようでは信用は得られない」

「誰にも夢がある。自分の長所を確信することである」

「金が無くて何もできないという人は、金があっても何もできない。乗る人がいなければ、乗る人を作ればいい」


小林一三だけでなく、実業家で成功した人は同じような発言をされています。頭でわかっていてもきちんと体現することはとても難しいことです。頭の片隅に常に置いておきたい言葉です。