2025年大阪で再び万博が催されます。
1970年大阪で多くの人を魅了した万博が行われました。
大坂の万博記念公園にある太陽の塔
再び大阪で万博が開かれることが決まり、ふと太陽の塔を作った岡本太郎の言葉を思い出しました。
岡本太郎の経歴を簡単にご紹介しましょう。
1911-1996年
神奈川県の生まれで、お母さんは小説家でした。
東京の美術学校を退学した岡本太郎は、パリに行くとパリの大学で美学や文化人類学を学びます。そして、彼は抽象芸術グループに参加し、創作活動を続けていきます。そして帰国すると有名な大阪万博のモニュメント「太陽の塔」建設するのです。
他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。
岡本太郎は、大阪万博で世界的に有名になった太陽の塔を製作しただけではなく、彼自身のキャラクターもインパクトがあり、「芸術は爆発だ」のフレーズでテレビなどにもよく出演していました。
岡本太郎にとって爆発とは、「全生命が瞬間に開ききること」を意味していたそうです。太郎は、他人の目を気にせず自分の信じる道を突き進んだ人でした。太郎の言葉は、人の人生とは、誰かのためのものではなく自分自身のもの。他人の批判などに惑わされるのではなく、自分がこれと決めたのであれば、自分の信念ややり方を貫くことが大切なのだと教えてくれているのではないでしょうか。
人生、即、芸術
芸術とは、絵を描くこと、音楽を演奏すること、小説のような素晴らしい文章で物語を綴ることどれも間違いではなく芸術なのでしょう。太郎は、これらのことだけではなく、すべてをひっくるめた「人生そのもの」、それこそが芸術そのものを考えていたそうです。常に「人生、即、芸術」と言っていた太郎にとって人生の目的は、生命を輝かせ、芸術へと転化、昇華させることだったのではないでしょうか。
太郎の言葉や生き方から私たちは、自分が他の人と違っていてもいいこと、自分の信じたものはとことん貫いていけばいいんだということを教えてもらうことができます。